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オーガニックな感覚(短詩文芸・冠句・川柳・その他)

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素直な自分に自然な気持ちに スローな感覚 ほがらか笑顔

姫路 木場   眩くて背に負う秋の影長し

姫路 木場(2007.09.10に撮影)   しばらく続く秋への助走

昨日の木庭山の夕陽に胸打たれ、今日も行って見ることにした。
この辺りは姫路駅から南東の海岸線にあり、ヨットハーバーや漁港がある。
木庭山から帰る頃には祭り太鼓の音が聞こえてきた。ここいらは灘のけんか祭りに
代表される海の男の祭りの舞台だ。
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木場の歴史はhttp://www2.117.ne.jp/~ysd/kiba/kiba10.html(無断で掲載しています。お許しください。)によると

郷土の歴史
木場(きば)の由来

木場 という地名の由来については、いろいろな説がある。
はじめは、 「キニワ」 と呼び 「木庭」 と書き、その後 「キバ」 呼び 「木場」 と
書かれるようになったといわれる。

源俊頼 が詠んだうたで 散木奇歌集 に次のようなものがある。
  きには といふ泊にて雨のふりけるに近き程に
  よき泊あらばすぎばやといひけるを聞きて
  すぎければよめる。
  をやみせぬ涙の雨はかかれども
  きには とまらぬものにぞありける
源俊頼 は平安時代後期、 堀川天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇 の三代にわたってつかえた人。

ここにでてくる 「きには」 は、現在の 「木場」 です。
これが 「きには」 という地名がでてくる最初である。
この 「きには」 が 「きば」 になったということが正しいといわれている。

その他、 木庭記 には、
 「此の 木庭 、昔はよき材木有りしにや。
 飾萬光明寺 建立の材木、此の山より出でしとなん。
 其の折りより 木場 と云う訓有りしとか」
とある。

峯相記 には、
 「文永の頃・・・・ 雲太夫入道餝万津に光明寺を造る・・・・」
とある。

英城記 には、
 「永享5年6月(1433年室町時代)に光明寺建立のため福泊周辺に
 木 を集めたところから 「木場」 といわれるようになった」
と記されている。

八木村役場の資料 (昭和9年5月)には、
「神宮皇后麻生山 (あさおさん) より屋形船に御乗あらせられ屋形川
(現、八家川)を下り御繋留せられたるを以て屋形村と称せしが
遂に転じて 「八家」 (やか) となる。
神宮皇后御出船の際、前記屋形川を下り軍を編成せられたる
を以て 「騎馬村」 と称せしめが、遂に転じて 「木場」 となる」
とあり、神宮皇后が敵征伐に行く途中、ここで、軍を編成したというので、
騎馬村 、それが 木場 になったという話もある。

これから望む木庭山はこうした地域の中にある。
今日もその山頂にきてしまった。

落ちゆく太陽の光が眩くて夕暮れを幻想の世界に導く
なんじゃ一句: 眩くて背に負う秋の影長し
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この眩しさの中に咲く花を紹介します。花の名前を知っている方は教えてください。山のあちこちに咲いていました。
色んな角度で紹介します。
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すいません。ただいっぱい載せてしまいました。何故か選びたくなく、撮った花の写真すべてを載せました。この花たちは山の山頂付近でしたが、参道の影に少しの木漏れ日を受けて群生しているところもありました。

つづく
by naochans_organic | 2007-09-12 00:34 | CITY(姫路・倉敷)

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